私の学歴にまつわる経験 「学歴病」論考(2)
前回の記事では吉田氏の『日本に巣くう「学歴病」の正体』記事を取り上げ、内容を紹介しました。
今回は、私が職場で経験した(している)学歴に関する話を展開し、学歴が職務に与える影響を検証していきます。
ある日系金融機関における学歴差別やヒエラルキーなど
私は現在、とある日系金融機関に勤務しています。
所属する部内の人間は、名簿に書いている訳ではないのにお互いの出身大学を知っています。
社内には慶應出身者が集まる「三田会」はじめ、各大学出身者が集まる組織・飲み会が暗に存在します。
そういう組織です。
平日1週間の間に同僚の会話で、「大学名」が出てこない週が珍しいくらい、学歴の話を耳にします。
「さすが、○○さん。東大文1出身だけある」
「あいつ、東大出身なのに仕事ができないんだよな。つかえない」
「あの人、ほんと早稲田っぽい。俺たちには理解できないよ(慶應出身者の言葉)」
「慶應の付属上がりだから口のききかたを知らないんだよな」
「関学出身者は口うるさいやつが多い」
「○○、頭の切れがいいな。当社はじまって以来の立教出身の役員誕生か?」
会話はいずれも最近聞いたものです。
この会話だけ見るとどんなギスギスした職場なんだというように思われるかもしれませんが、実際にはそんなことはありません。
普通の職場なのですが、時々このような会話が聞こえてくるのです。
ヒエラルキーとしては、やはり学力が高い順です。
ただし上記の会話のように、優秀であると期待される東大や京大出身者が仕事ができないと、陰でこき下ろされることになります。
学歴で持ち上げられる分、落とされる時のインパクトが大きいのです。
東大出身者の感じるプレッシャーは計り知れません。
このような環境におかれると、果たして東大に合格するのが本当に幸せなのだろうかと考えてしまいます。
所属メンバーの多くは、各人の仕事のできを学歴と絡めて考えてしまうのでしょう。
しかし、学歴フィルターは誤った先入観につながり、時として人の評価を歪めることにもつながります。
ある外資系金融機関における学歴絡みの話
現職の前は、とある外資系金融機関で働いていました。
その職場では大学名による判断はありましたが、むしろMBAホルダーか否かに関心が高かったように思います。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、以下MBAの説明です。
MBAとは、Master of Business Administrationの略称で、経営学修士号を意味します。ビジネススクールと呼ばれる経営大学院で、通常1~2年の間に必要な単位数についてある一定以上の成績を修めることで取得できます。人文科学の大学院の場合、MA(Master of Arts)が与えられますが、これらが研究者を養成するアカデミックスクールであるのに対して、ビジネススクールは法律の実務家を目指す人のためのロースクールや医者を養成するメディカルスクールと同様にプロフェッショナルスクールに分類され、実務家を養成することを目的としています。ハーバード大学ビジネススクールがその代表例で、日本の大学のようなレクチャーばかりでなくケースメソッドという事例研究をディスカッション形式で進めていきます。
日経Bizアカデミー【ビジネスパーソンのためのMBAの基礎知識】より引用
どの大学のMBAを取得したかが、その後のヒエラルキーに直結します。
名の通った大学のMBAホルダー(ハーバード、ウォートン等の出身者)は、プライドも高かったように思います。
MBAホルダー達は、授業で学んだファイナンス理論を前提にディスカッション等を行います。
わたくしは、ファイナンス理論をよく理解していませんでしたので、勉強をする必要がありました。
外資系金融機関にいた時は、MBAという日系とは異なった学歴の壁を感じました。
職場における学歴の有用性と問題
仕事上の決裁・稟議、根回しを行う時に、上司・同僚等関係者がどのような人間であるか理解するのは重要です。
対象者がどのような性格、経歴、考え方をするのか把握し、案件を前に進めるための対策を考えます。
相手を知るための数ある情報・要素のうちの一つが学歴なんだと思います。
ある一定の期間を同じ大学のキャンパスで学ぶことを通じて、同一の観念や仲間意識は醸成されていくことは多いです。
加えて、各大学の学風を踏まえて進学しているのですから、入学時点でも各人の好みは出ているのではないでしょうか。
人は同一性を好むものです。
出身大学を知ることで、その人のひととなりを把握(推測)する。
事前知識として出身大学を理解しておくことは、仕事を進めていく上で助けになることはありました。
しかし、学歴フィルターに拘っていることの害は大きいです。
各大学・学部に対する勝手なイメージが先行し、その人の個性を見ないことにつながります。
本当に対象者を理解したわけではないのに、理解したつもりになっている。
もしかしたら、誤認かもしれません。
なぜ、学歴で人を判断する傾向があるのでしょうか。
わたしは、一から考えるのはとても大変な作業だからだと考えます。
まっさらな状態から、その人を理解するためには時間がかかります。
目で見て、会話をして、時間をかけて交流して、はじめてその人が理解できるのでないでしょうか。
長年つきあった友人でも、時に「あれ、そんなことを言う人だっけ」と新しい一面を知りびっくりすることもあります。
人のことを知ったつもりでも、実はお互いのことはよく知らないのかもしれません。
今回は、学歴は人のバックグラウンドを知る一つの要素ではあるけれど、誤認につながる危険性もあることについて考えてみました。
次回は、新卒一括採用における学歴フィルターについて考えてみたいと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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