幼稚園中退、小学校不登校から始める中学受験日記

中学受験日記|発達障害と診断された子供を持つ親が悩みながら共に成長を目指す記録(夫婦当番制で記載)。同じ境遇にある家庭と共に歩む記録。

もうダメだ!という時に思い出したい。視力・聴力を失った「盲ろう者」東大教授福島智氏から学ぶ、どん底からの這い上がり方

   

光が無い、音も無い世界に落とされても発狂せずに生きることができますか?

目が見えない、耳も聞こえない方といえば、ヘレン・ケラーが真っ先に思い出されます。

本日は、18歳までに病気で視力と聴力を失いヘレン・ケラーと同じ状態になった、「盲ろう者」福島智氏の言葉を紹介したいと思います。
※目が見えず耳が聞こえない状態を「盲ろう」といいます。

 

福島氏は目が見えず、耳も聞こえませんので、コミュニケーションは主に「指点字」といった特殊な方法で行われます。

指点字とは、会話者が盲ろう者の指を点字タイプライターに見立てタイプすることによって言葉を伝える福島母子が発明したコミュニケーション方法です。

 

福島氏は、盲ろう者では初めて大学進学(東京都立大学)をして、現在は東京大学の教授をされています。

 

盲ろう者となった18歳から、真っ暗闇・無音の世界の中で苦悩に生きる意味を考えて、これまで生きてきたということです。

その精神力は想像できません。

 

わたしは、初めて福島氏のことを知って、彼が生み出す言葉に触れた時に、衝撃を受けました。

感動とも悲しみとも違う感情でした。

「生きる」という、大切な意味を教えてもらったのだと思います。

ちっぽけな考えに凝り固まっていた自分を反省しました。

 

落ち込んだ時、辛い時などは福島氏の言葉を思い出します。

どん底の状態にあっても生きる意味を。

 

それでは、福島氏の言葉の中で特に印象に残ったものを5つの観点からいくつか紹介いたします。

 

 

 

福島氏の言葉から考える、どん底にあっても生き抜く考え方

 
1.生きる意味
2.所有・お金について
3.うつ病

4.リアルなコミュニケーションの重要性
5.自分らしさ・幸福のヒントについて

 

 

 

1.生きる意味

人は無意味には死なないし、死のうとも思いません。無意味に死ぬことを積極的に求める人は一人もいないはずです。

おそらく自殺する人であっても、その人なりの何かしらの意味を見出したのでしょう

死であっても意味が必要なのですから、生きるうえでは絶対に意味が欠かせません

また、生きる意味を見出せば、生きるという行為は間違いなく輝くはずです。

逆に、意味が見出せなければ、周りから羨まれるような生活をしていたとしても、本人は空虚な気持ちでしょうし、空疎な生を生きているといっていいと思います。

(中略)

確かに、いったん生きる意味が見出せなくなったとき、再び意味を見出すのは簡単ではないかもしれません。

でもそこで完全に絶望してしまうのではなく、そのつらさ、苦しさ、あるいはむなしさ自体にも意味があり、それがひいては生きる意味にもつながっていくのだと自身に言い聞かせることが大切なのだろうと思います。

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

生きていくには「生きる意味」を見出すことが必要。

生きる意味を見失った時には絶望せず、苦しさ自体に意味があり、生きる意味につながっていくのだと自分自身に言い聞かせるのが大切であると。

福島氏は、「盲ろう」という極限状態にあっても絶望せず、苦しさの中に生きる意味を探していったのだと思います。

 

 

自分の中にある「生きる意味」とか「宝」といったものに気づける人はどういう人なのでしょうか。

はっきりとは言えませんが、一つの条件は「自分の弱さをとことん知っている人」ではないかと思います。

自分が弱くて臆病な存在であり、醜い存在であるということをとことん見抜き、とことん経験する。あるいはどん底を経験する。

それによって、自分を包んでいた嘘の飾りが剥がされて裸になっていく

そうすると、自分がいかにちっぽけな存在で、つまらなくてくだらないものかとわかってくるのです。

 

 私たちはこの宇宙の中で、一瞬にも等しい時間だけ生きている存在です。

宇宙創世から百三十八億年が経ち、この地球の誕生から数えても四十六億年の歴史があるといわれています。

こうした時間的スパンの中にあって私たちは長くてもせいぜい百年生きて死んでいくのです。

(中略)

そういう現実を踏まえたうえで、それでもなお、自分の生に意味があるのか、限られた存在で、弱くて傷つきやすい無力な自分だけれど、それでも生に意味があるのかととことん問い詰めたときに、「ある」と答えることができれば、その生涯には意味が生まれるのだと思います。

私たち人間は皆、この世の中のことについてほとんど何も知らない馬鹿者なのです。

一秒後に生きているという保証はどこにもありません。

今日の夜、心臓発作で死ぬかもしれない。明日の朝、脳の血管が破れて死ぬかもしれない。しかし、そのことは誰にもわかりません。

だから、私たちは極めて弱いし、取るに足りない存在なのです。何も知らない馬鹿のかたまりみたいなものなのです。

(中略)

そういう自分の非力さ、無力さ、怠惰さといったものを認めて、どん底まで落ち込んだところで、「それでも生きる意味があるか」と考える

そうすることで自分の生きる本当の意味や自分の中にある宝に気付くのではないでしょうか

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

格好をつけたりしないで、自分の弱さをとことん見つめるということから始めるのが生きる意味を気づけるヒントだと。

ダメな自分を受け入れ、開き直ってみるという考え方も必要かもしれません。

 

 

生きていることが理屈抜きに大事だと思うのです。

なぜなら、私たちが生きているのは自分勝手に生きているわけではなく、命を与えられて、生かされて生きているからです。

これには理由も何もありません。もし、生きていることに意味がないのであれば、そもそも私たちはこの地球上に出現していないはずです。

いかに生きるか、どう生きるかということも、もちろん重要だと思います。

しかし、それは命の一割ぐらいにかかわる話であって、残りの九割ぐらいは生きることそのものだと言っていいのではないでしょうか。

ところが私たちは、この一割をめぐってクヨクヨと悩んだり後悔したりしています。

その一割が重要だとも言えますが、その一割がなくても生きているだけでいいじゃないか、という見方もできると思うのです。

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

とにかく生きていることが大事。

小難しく「いかに生きるか」を考えるよりも、「生きているだけでいいじゃないか」と思える気持ちが大切であると言っています。

 

 

 

2.所有・お金について

 

私たちは往々にして「持つこと」「所有すること」ばかりを追い求めてしまう傾向があるのではないでしょうか。

お金や土地などだけでなく、地位や名誉、そして、時には他者をもまるで物であるかのように「所有」し、制御しようとしてしまう欲望に支配されているのではないでしょうか。

「持つこと」に伴う問題は、例えば、教育などの営みにおける知識の授受についても同様です。

知識はそれを持つこと自体に意味があるのではなく、知識によってみずからの生き方を変容させ、その知識を他者とともに響き合わせることに意味があります

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

「所有すること」自体には意味は無く、持つことによって生き方をよい方向へ変えることができるかということに意味があります。

「持つこと」から「あること」、つまり存在そのものの「あり方」が重要なのだと思います。

 

 

おそらくお金があれば、人生におけるトラブルや課題の多くは解決できるでしょう。お金はあったほうが便利に決まっています。

ただし、便利と幸福は同じではないのではないかという、素朴な疑問が生じます

また、当然のことながら、お金は持っているだけでは意味がなく、使わないと役に立ちません。

そして、「使う」ということはなんらかの目的を果たすための手段として「使う」ということです。

つまり、お金は本質的に手段であって目的ではないということです。

そうなると、それ自体が手段にすぎないものが私たちの幸福を担保すると考えるのは、かなり無理があるように思えます。

したがって、お金は大切なものですし幸福にも大いに関係があるでしょうが、お金自体はなんら本質的な価値を持つものではない

なので、それは幸福をもたらすものと言い切ることはできないだろうと思います。

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

わたしも含めて多くの人間はお金に振り回されがちです。

お金は手段であって目的ではないことを、肝に銘じておく必要がありそうです。

 

 

 

3.うつ病

 

私は、適応障害という鬱状態を経験しましたが、鬱というのは意志力ではコントロールできないものです。

(中略)

私は、体力もないし、よく内臓の病気にもなります。しかし、精神力は無敵だと思っていました。

なぜならば、見えなくなっても聞こえなくなっても、なんとかやってこれたからです。

何があっても平気とまでは言わないにしても、精神的にはかなり強いはずだと自負してきました

ところが、四十二、三歳になった頃、適応障害になってしまいました。

そのとき、「なるほど。意志力とか精神力といったものとは違うところで、脳が影響を受けるようなことがあるのか」と気づきました。

自殺する人の中にはうつ病の人が半分ぐらいいるといわれます。

もしかするとそういう人たちの多くは「頑張ろうとしてもどうにもならない。この病的な状態のまま生きているのは苦しい」という気持ちから思いあまって死んでしまうのかもしれません

人間関係の面倒くささやうっとうしさから逃れるために自殺を選ぶ人もいるのでしょう。

しかし、私たちは命を与えられて生かされているのですから、なんとか生き続けてほしいと強く思います

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

福島氏が適応障害になった原因は、職場や家庭や社会的な活動の場での様々な人間関係の面倒くささが重なった結果だったと。

わたしも人間関係の面倒くささや鬱陶しさを感じることは多々あります。

全てを投げ出したいと思ったことがある人もいるのではないでしょうか。

適応障害を乗り越えた福島さんは、与えられた命だからなんとか生き続けて欲しいと願っています。

 

 

 

4.リアルなコミュニケーションの重要性

 

本当に独りぼっちでいる人は、すごく苦しいはずです。

仮にネット上のサイバー空間で、多くの人と連絡を取り合っていたとしても、それだけでは他社と十分交わっているとは言い切れないでしょう。

例えば、自分が現実の生活で直接語りかけたらそれに応答してくれるような他者がいないとすれば、その人はものすごく孤独で苦しい日々を過ごしているだろうと思います。

なぜなら、たとえ相手が実名を使っていたとしても、SNSなどでつながる相手は文字言語という記号を媒介にヴァーチャルにつながっているにすぎないからです。

もし、そうした相手とのつながりしかなければ、そうした相手がまとまった仮想性や間接性が、そのまま自己に跳ね返ってくるのではないでしょうか

そして、もしそうなれば、自分自身という、具体的な人間存在のリアリティーまでもが不確実となり、仮想的になってしまう危険性があるのではないかと私は思います。

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

他者とのコミュニケーションの重要性について言及しています。

それも、SNSでは無くリアルな他者との関わりによって初めて、自分の存在を確かめることができるとしています。

SNSは便利ですが、コミュニケーションがネットに偏っていると、自分自身の存在自体も仮想的になってしまう危険性があると指摘しています。

 

 

 

5.自分らしさ・幸福のヒントについて

 

「自分らしさ」を求めるとはどういうことなのでしょうか。ひところ、「自分探し」という言葉が流行ったことがありました。

今も、そうした傾向や風潮は残っていると思います。それでは、私たちはどうして、「自分らしさ」を求めたり「自分探し」をしたりするのでしょうか。

日本だけの現象ではないと思いますが、物質的に豊かな先進国であるがゆえのゆとりが不安を生み、その結果、私たちは「自分らしさ」といったものに必要以上にこだわっているように思えます

しかし、国際会議などで発展途上国から来ている人たちの話を聞いていると、それはずいぶん贅沢な話だなと感じます

彼らはまず生きることに必死なのです。

(中略)

今の日本人は、自分が満たされていないと感じるから幸福とはどういうことなのだろうと考えるのでしょう。

普通であれば、衣食住が足りている社会に暮らしているだけで十分と考えるところですが、豊かさに慣れてしまった人間はそれだけでは満たされないようです。

だから、いかに生きれば幸福感を得られるのかを考えるのでしょう

「自分らしく生きよう」などと、気負ってあまりおおげさに考えず、もっと肩の力を抜けば、また違った生き方が見えてくるのではないでしょうか

 

ぼくの命は言葉とともにある 福島智 より引用

無いものについて嘆くのではなく、今有るものを見つめることが幸福の近道なのかもしれません。

福島氏は本の中で、「ともかく生きている、それだけで人生のテストで90点をとれている」とも言っています。

 

ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)

 

 

まとめ

人間とは何かということ、生きるとはどういうことなのかを、福島氏の言葉を読むと考えさせられます。

皆様にとっても、一つでも何か生きる上でヒントとなった言葉があれば幸いです。

もっとも、福島氏の言葉を借りると「難しく考えなくても生きているだけでもいい」ということかもしれませんが。

 

 

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

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