幼稚園中退、小学校不登校から始める中学受験日記

中学受験日記|発達障害と診断された子供を持つ親が悩みながら共に成長を目指す記録(夫婦当番制で記載)。同じ境遇にある家庭と共に歩む記録。

子育て世帯の親が認知症に。介護体験記。‏

   

父親が認知症になって今年で10年になります。

その間色々ありましたが、あっという間だったという感じがします。

 

子育てをされている方の中で、今後親が認知症になる方も出てくると思います。

わたしの経験を通じて少しでも参考になればと思い、今回はこの10年を振り返ってみたいと思います。

 

 

母親の急病で知った父の認知症

わたしの両親は夫婦2人暮らしです。

10年前、母親が急性心筋梗塞で病院に運ばれました。

 

わたしは仕事を休んで急いで病院に向かいましたが、すでに危篤状態でした。

今晩が山だと医師から告げられました。

もうできることは無いこと。今のうちに家族・親戚を呼ぶようにと。

本当にドラマと同じようなことを言われるものなんだなと思いました。

 

元気だった母親が酸素マスクをしてベッドに横たわる様子を信じられませんでした。

父親は放心状態で話しかけても返事をしません。

ちょっと変だなと思ったものの、こういう事態だからショックなんだろうとその時は思いました。

 

ただ、わたしまでぼけっとしているわけにはいきませんでした。

一人っ子(妻は3人兄弟の末っ子)なので、もしものために準備をする必要がありました。

 

父に代わって親戚に連絡。

不謹慎な話ですが、母が亡くなった後のこと、葬儀のことも考え始めていました。

 

その後、幸いにも母は危篤状態から回復しました。

 

わたしたち夫婦は母が入院している間、実家で生活をすることに。

そこで父親の様子が以前と違うことに気が付きました。

 

受け答えがはっきりしないこと、物忘れが激しいことが気になりました。

 

大学病院の「もの忘れ外来」で診察を受けたところ、初期の認知症と診断されました。

 

認知症と診断を受けたため、父親の車の運転をやめさせました。

同時に車を売却。

 

父親の唯一の趣味がドライブでした。

父親の実家からは、「可哀想」と非難されました。

でも、事故を起こしてからでは遅いので、この選択は間違っていなかったと今でも思っています。

 

 

 

進む認知症

実は、母親は父の認知症に気付いていました。

しかし、認知症ということを信じたく無いという気持ちと、人に知られるのが恥ずかしいという想いが強く、わたしにも言えなかったようです。

 

結果的に、母親の病気のおかげで父親の認知症を早期に発見できた形となりました。

 

入院から3か月後、母は退院しました。

しかし心筋梗塞の病後ということもあり、まだ体調は万全でありません。

 

実家との往復暮らしをしばらくの間続けました。

 

父親は通院をしながら、「アリセプト」という認知症の薬の服用開始。

当時、認可されていた唯一の認知症の薬です。

 

現在もそうですが、認知症を治す薬はありません。

できることは、ただ病気の進行を遅らせることだけです。

 

徐々に薬の投与量が増えていきました。

それでも物忘れはひどくなります。

そのうち幻覚も見えるようになりました。

また、昼夜を問わずトイレに頻繁に行くようになってしまいました。

 

 

 

母親の精神状態が限界に

父親が認知症を発症してから5年がたった頃、デイサービスを利用することにしました。

介護者の負担が軽減できるように、日中認知症の患者の面倒を見てくれる施設です。

 

母親は、父親をデイサービスに通わせることに反対しました。

夫を施設に預けるなんてみっともない、自分が介護を放棄したみたいに思われると。

 

ですが、半ば強制的にデイサービスの利用をさせるように手続きをしました。

母親の精神状態が限界に達していたからです。

 

その当時、母親は父のトイレの回数を数えていました。

昼夜を問わず、ほぼ5分おきに行くトイレに対して正の字を書いて数えていました。

さっきトイレに行ったばかりだと母が言っても、父はどうしてもトイレに行くと言って聞きません。

「なんでこんな状態になってしまったのか」泣きながら叫んでいました。

 

デイサービスに通ってみてもさほど、状況は変わりませんでした。

結局父は夜、家に帰ってくるからです。

しばらくして、デイサービスから利用を断られました。

父親が暴力行為があり面倒がみきれないというのが理由です。

暴力行為は母まで及んでいたことを、後から知りました。

 

わたしも、その時には子供もいたため週末ぐらいしか実家に行くことができませんでした。

このままだと家族が崩壊してしまいます。

抜本的な解決策が必要だと思いました。

 

 

 

入居型施設を探して

施設に入居させるしかないと考え、特別養護老人ホームに入居の申し込みをしました。

通称、特養と呼ばれる施設です。

公的な介護施設であるため、比較的安く利用できるため人気が高いです。

 

申込を行ったところ、なんと140人待ち。

入居待ちが多いとは聞いていましたが、これほどまでとは思いませんでした。

 

民間が運営している有料老人ホームの利用も考えましたが、料金が高いため難しいとの結論に。

 

結局どうしたらいいのか途方にくれました。

 

そんな時に、担当のケアマネージャーから認知症に特化している療養型病院の紹介を受けました。

父親を早速連れていき、「せん妄状態」にあると診断を受け、入院することができました。

せん妄状態とは頭が混乱している状態ということです。

 

入院する時には、父はまだわたしたちのことを認識することができました。

病院で別れる時の、「一緒に連れてってくれよ」という父の言葉と、寂しそうな姿は今でも忘れません。

 

認知症と診断を受けてから10年。

今では、介護度も要介護5と一番重いレベルになりました。

もう、寝たきりでこちらからの呼びかけにも答えません。

 

父親は、初めに入院した後、転院などもしながら、現在まで療養型病院に入院しています。

ただ、特養と異なり最後まで病院にいられる保証はありません。

 

今でも、いつ退院になるのか、その後はどうするのか、今も対策を考えています。

 

 

 

家族が認知症になった時に大切にしたいこと

 

第一に「認知症になるのは恥ずかしくない」というのを家族で共有すること。

今や認知症は、一般的な病気です。

 

しかし、未だに認知症に対する偏見があるのは事実です。

実際に、母親の実家は未だに父の認知症を隠しています。

理由は、親戚に認知症の患者がいることが恥ずかしいからというものです。

 

また、両親が住んでいる田舎は閉鎖的なところもあるため、尚更カミングアウトをすることが難しかったのかもしれません。

ですが、隠していてもいずれはわかるものです。

認知症になっても何も恥ずかしいことはありません。

言ってしまった方が楽になります。

 

 

第二に、一人で抱え込まないということ。

認知症は一人で介護するのはとても大変なことです。

母親のように、介護者が精神的に追い詰められてしまうこともあると思います。

そんな時は、まわりも一緒に問題を共有して解決策を考えていくことが必要です。

 

 

第三に、認知症は長期戦であることを認識すること。

他の病気と異なり、体は健康であるということです。

父も発症から10年を経ちますが、体は健康です。

 

確かに寝たきりになると、臓器が衰え、また誤嚥もしやすくなります。

ですが、基本的には体は元気です。

 

通常の病気と異なり、症状がよくなるということがありません。

ただゆっくり進行していくのを見守るしかありません。

 

いつ終わるかわからない介護。

心が折れそうになることもあります。

 

そんな時には、家族・関係者と連携し、介護者の心のサポートが必要だと考えます。

 

 

我が家では、育児と認知症が重なったため、負担は重く感じました。

子育て世帯の親の認知症は誰でも起こり得ることだと思います。

 

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

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